店長 保田亜紀子
まさか、父と一緒に仕事をする事になるとは
北海道・帯広の小学3年生の時、ある日突然、白米が玄米になり、スーパーでの買い物が、自然食品店での買い物に変わり、今までの食品に慣れきっていた私は、こんなの嫌だ! まずい!と言っていました。父のせいで変わってしまったと思ってましたので、食事には反抗していました。初めは・・・
でも、両親は休みの度に、豆腐、ケチャップ、マヨネーズ等を手作りしたり、 醤油や味噌作りの工場を見に行ったり、自然派牧場で泊まって乳搾りを体験したり、無農薬で頑張っている農家を尋ねたり、山に山菜を採りに行ったりして、目で見て体験しているうちに、私は自然食生活が当たり前の事になっていました。
戸塚の店の前でスタッフと。 右奥が私です。
父は、小さな空き地を借りて、農薬も肥料もかけず畑を耕すことさえしないで野菜を作ったりもしていました。 日の出直後から畑に行って何時間もじっと野菜と虫を見つめているらしく、帰宅した時の父の顔は満足した表情で、何故そんな事が面白いのか不思議でした。
でも、今はそれがわかる様な気がします。 そして、長く勤めた、安定した収入がある会社をやめてまでも、オーサワジャパンに入社した姿を見て、父の食に対する情熱の凄さを強く感じました。 ただ、どうしても玄米は苦手でした。学校で書いた、玄米が嫌いという詩(お父さんの前では、美味しいね〜と言うが、居なくなったらまずいね〜と言う内容です。)が某新聞社主催の賞に入選して、ラジオや新聞に紹介された事がありました。
その事がきっかけで友達が、玄米って何?というので、 先生の了解の上、クラス全員に玄米おにぎりと、水俣病患者さん達が作っている無農薬ミカンを持って行き、父が教壇で食の大切さ・人を思いやる気持ちの大事さを話したりしました。
こうして、いつしか私も自分が食べている食物に関心を持つようになっていました。ほとんどの子供達は父親がどんな会社に勤めているか、どんな仕事をしているのか、知らないと思います。私はそれを知ることができたことを嬉しく思います。 何事にも前向きな、真剣な父を尊敬しています。そして、父を理解し、いつも温かい家庭とおいしい食事を作ってくれる母に感謝しています。 すばらしい品物を知ることができて嬉しく思います。
そして、こんなにも「すこやか広場」が多くの方々から注目してもらえるようになったのも、より多くの方々に良い物をお伝えしたいという情熱が皆様に伝わったからだと思います。
これからも美味しくて安心して食べれる品物を皆様にお伝えして、喜んで頂きたいのです。 そして、こんな素敵な仕事を大切にしていきたいと思います。
良い品の情報をお伝えします! 良い品をお届けします! これが私達の生き方です!
これからもどうぞ宜しくお願いします。